母との別れ

10月28日の夜母が亡くなりました。
2日間経過しました。当たり前かもしれませんがまだ心の整理なんてできません。
亡くなる3日前くらいから意識レベルが低下し、声掛けをしてもなんとか頷いたり首を振ることができましたが会話をすることがむずかしい状態になりました。
がんによる全身の衰弱なのか、がんも糖尿病も患っていましたからなんらかの影響を受けての多臓器不全なのかわかりませんがどちらにせよもう体が持ちませんでした。

なんと感情を表せば良いのかわかりませんが悔しいし悲しいし寂しい。
だけれども感謝の気持ちはいっぱい。
以前の記事で人生で1番お世話になった人。ということを書きましたが、幼少の頃からどんな時も温かい目で見守ってくれた人でした。
私は小学校の時から野球を始め、中学生の時は硬式のクラブチームに所属、高校は県外へ行き、寮生活をしました。兄の影響で野球をやりたいと言った時も反対せず、小学生の時一度嫌でサボった時も父には怒られましたが母は何も言わず次からまた普通に送り出してくれました。そんな人です。

中学生の時は働きながら土日祝のお休みのたびに早朝に起きてお弁当を作ってくれたり付き添いを担当してくれ、野球をできる環境を、集中できる環境を作ってくれました。
高校は県外へ行くことを相談した際も応援してくれて寮生活は良い経験になると言ってくれました。
野球のことは書ききれないくらいありがたさを感じていますが、私生活でもそうです。

小学生の時の落ち着かなかった時代に素行が悪く担任と母が毎日連絡帳をやりとりしていたことがあり、その頃のことは今でも申し訳なかったなと思っていることがあるのですがそれでも私のことを責めずに時に笑って話をしてくれて、とにかく話を聞いてくれました。

こうやって文字にお越して書いていくと次々と思い出が蘇ってくるので取りまとめのない文章になります。いつもは大体〇〇について、〇〇の後のこと、〇〇のまとめなどと頭の中で整理したり、簡単なメモに書いて作文を書いているのですが今日は思ったままを綴っています。

母だけではなく父とも兄、弟、妹ともそれなりに仲がいいので母を亡くした父のことをみんな心配しています。
自分のことより父のこれからを思いやる兄弟達も本当に優しいなと感じます。
僕自身も母との別れをまだまだ受容できていませんが次は父を支え、母の想いやりを持って人に接するという人生観を自分の糧にして自分もそのような想いで今関わりのある人を大切にし、これから関わっていく人にも自分の経験を生かして寄り添って心が温まるケアを行えたらと思っています。

本当に感情のまま記載しているので取りまとめのない文章で要点がわからないかもしれません。
亡くなった方への感謝の気持ちというのはその人の想いを胸に前向きに生きることかなと思うのでそれができるようにしばらく落ち込んだ後に楽しく、前向きに生活してこうと思います。












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